リレーエッセー 第102弾

秋の夜長にバッハはいかが

野村 和宏(修12E)

今年も爽やかな秋が巡ってきた。 こうした季節の空気感の移り変わりに合わせて聴きたくなる曲がある。 春はストラヴィンスキーの春の祭典、夏はリヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲、 冬はグリーグのピアノ協奏曲やシベリウスの交響曲など、 そして枯れ葉が舞い始める秋はまずはブラームスの交響曲第4番、 そしてバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ、 同じくバッハの無伴奏チェロ組曲などだ。 友人の鈴木さんの素晴らしい聴き比べサイトに触発されたということもあって、この10年ほどの間は特にバッハの無伴奏ヴァイオリンと チェロのCDコレクションがずっと増殖し続けてきた。


お気に入りのCDをMusical Fidelityの真空管CDプレーヤーにセットし、 QUADのプリアンプとメインアンプでTANNOYのStirlingを鳴らす時間は私にとっては至福のひとときとなる。 目を閉じて耳を澄ますと、カール・ズスケのヴァイオリンや長谷川陽子さんのチェロの音が 眼前に実物大の音像となって現れる。 超一流の音楽家こその磨き抜かれた深い音の世界を的確に表現できる言葉が見つからない。 こうしたお気に入りの演奏があるにも関わらず、コレクター癖がある身としては新しい演奏や 聴いたことのない演奏があれば、ついついまた集めてしまう。 どちらの曲も既に50種類は下らないほどになっているかと思う。


こうした音楽の素晴らしさを体験する度に、人間の肉体を駆使した営みとしての芸術活動や スポーツなどの存在の意味を考えさせられる。コンピュータ技術やインターネット・テクノロジーが どんどん進歩していく現在、モニター画面上で簡単にいろいろなことの疑似体験ができるとしても、 やはりわれわれは手間をかけて音楽会や、博物館、スポーツ競技場に足を運び、 時間と空間を共有することの意味を忘れていない。そこには振動や温度、光、風、色、匂い といった空気感がある。こうした面倒でも「不自由な快適さ」に人は人間らしさを感じ、 生きていることの意味を見出しているように思える。便利になり過ぎた中で敢えてレコード盤に針を 落とす儀式が静かなブームとなっているのもその現れだろう。 私の所有するYAMAHAのGTのレコードプレーヤーも今でもすこぶるご機嫌がいい。


さて、ここでふと本職のことを考えた。英語の研究者、 教育者として、意味のある仕事ができているかということだ。 ある特定の曜日の特定の時間にだけ教室に集まってくる学生たちに、 その価値がある時間と空間が提供できているか、これは自問自答したいと思う。 以前、大学英語教育学会の授業学研究委員会のメンバーであったとき、 研究会の成果をまとめた『高等教育における英語授業の研究』に自分の考える良い授業の定義を書いた。 それは「学生が毎時間、期待感を持って教室に向かい、教室で共に学ぶことの喜びと意義を感じ、 学習の達成感の余韻を味わって教室を離れることのできる授業」というものだ。 これを毎時間実践するには、あの手この手、種も仕掛けも必要となる。 あまり真剣にやっていると疲れることは確かで、いくら時間があっても足りなくなる。 しかし超一流の音楽家が磨き抜かれた音や技巧を駆使して深い音楽の世界を奏でるように、 自分自身もプロの英語教師として、「歌を忘れたカナリヤ」になって後ろの山に捨てられないよう、 自戒の念を持ちながらその理想を追求していきたい。 学びの場としての教室での毎時間の授業は、決して二度と戻ってこない真剣勝負の場なのだ。


こうして頑張り過ぎた頭と体を休めるために今日も音楽を聴く。 いつの間にか安らぎに誘われてうたた寝をし、ふと目が覚めたら音楽は終わっていたということもあるのだが(苦笑)。 秋の夜長にバッハはいかが。

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