リレーエッセー 第95弾

アナログとデジタル、両方を知る世代だからこそ

樫原 令子(学46E)

楠ヶ丘会ウィメンズくらぶfacebookページの管理・運営を行い、 世話人の方々とは電子メールでやりとりし、こうして楠ヶ丘会ウェブサイトのリレーエッセイを 執筆している私だが、それでも時々、インターネットも携帯電話もなかった頃のコミュニケーションを 懐かしく思い出すことがある。


1997年に神戸外大を卒業した私くらいの学年は、 「インターネットが普及していなかった時代に卒業論文を書いた最後の世代」 ということになるのだろう。パソコンどころかワープロを所有している学生もそう多くはなく、 レポートを手書きで提出する学生も珍しくなかった。 現在多くの先生方を悩ませている「コピペ」などありえなかった時代である。


携帯電話も普及していなかった(4回生の頃にやっとポケットベルが流行り始めた)ため、 普段の友人とのやりとりは当然、電話や手紙。 友人と2時間にわたって長電話していて母に怒鳴られたり、 友人宅に電話をするとお父さんが出て、驚いて思わず切ってしまったり、 親御さんが出たとしても失礼のないように頭の中であいさつを何度も復唱してから電話をかけたり、 今の学生にはなじみのない苦労がいろいろあったものである。


クラブの先輩からの「部室に行く約束をしていたのに遅れてしまってすいませんでした」 「現像代は6,000円ほどかかりましたのでよろしく」など、 今ならメールで済ませるような細かい連絡の葉書を、私はいまだに保存している。 葉書だからこそ、20年を経た今でも形となって残っているのである。 メールならとっくに自動的に削除されているだろう。


パソコンや携帯電話の普及に伴い、かつて手紙や葉書や電話で連絡を取り合っていた友人たちとは メールでやりとりするようになった。しかし不思議なもので、 メールで簡単に連絡を取れると思うと、かえって連絡の頻度が減ってしまうもののようである。 週一のペースで便箋5枚にもわたる手紙をやりとりしていたペンフレンドとも、メールになった途端に、 皮肉にも年賀状だけのつきあいに変化してしまった。 今では、手紙というものが恐ろしく重たいものに感じられる。 相手の顔を思い浮かべながら便箋を選んで、下書きをして清書して、封をして切手を貼って宛名を書いて…… まるで贈り物ではないか。こんな手間のかかることを20年前は当たり前のようにこなしていたのだと思うと 感慨深い。だからだろうか、たまに手紙をいただくとものすごくうれしく感じられるのである。


前回の私のエッセイ(第77弾)と矛盾するようだが、インターネット、 とりわけSNSが普及したことで、かえって人との距離が遠くなってしまったような気もするのである。 SNSを利用することで、以前からは考えられないくらい容易に同窓生を探し、 再会することができるようになった。それは便利である反面、 「実際に会わなくてもネットでやりとりできていればいい」「ごく親しい友人とつながっていればそれでいい。 他の同窓生はどうでもいい」という傾向を助長し、同窓会総会や支部総会に足を運んだり、 同窓会費を支払ったり、同窓会名簿に個人情報を掲載したりすることをためらう 同窓生を増加させているのではと思うのだ。 このままでいくと、そう遠くない将来、支部の世話人会も常任理事会も総会も全部チャットで済ませ、 役員が顔を合わせる機会が一年に一回もない、なんて時代が来るのだろうか。


これからも通信手段はどんどん最新のものに更新されていき、 今の私たちの想像を超えるような速さと便利さが実現されていくのだろう。 しかし、手書きの文字や肉声や、紙媒体などの「かたちになって残るもの」、 そういったものもやはり大切にしていきたいと思うのである。 アナログ時代であろうとデジタル時代であろうと、そこに存在するのは「人間」である。 人間が実際に集まったり話したり書いたりといった行為から醸し出される温かみのようなものを、 完全に切り捨てることはできないはずだ。


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