会員だより

〜笑いの王国ロシア〜
小話(アネグドート)「国が亡ぶということ」


関西日露交流史研究センター 代表 岩佐毅(学20P)


私が初めてロシア、当時「ソ連邦」という未知の国を訪れたのは、40年ほど前のことである。 その頃私は50万円を元手に個人事業を立ちあげ、おんぼろトラックを駆って、 神戸港、大阪港などに停泊する赤旗を翻したいわゆるソ連船を訪船し、船用品や食料を調達する個人会社を開業し3年ほどたった35歳の頃のことである。

お粗末なつくりのアエロフロートの航空機IL64Mで、12時間延々とシベリア上空を飛び続け、 ふと窓の外を見ると数条の煙が高く昇っているではないか。 そこで、隣のロシア人に聞くと、いとも簡単に森林火災だと教えてくれた。 どうして消火しないのと聞くと、とても人間が近づけないようなタイガ地帯や広大な森林が広がっており、 自然発火し、自然に消えるのだとのことで、しばらくして、20−30分後に再度窓を覗くと、やはり同様の煙が立ち上っており、 とてつもないこの国のスケールの大きさに驚かされた。 そして、初めて憧れのモスクワに到着し、インツーリスト旅行社の案内で、ガタガタのボルガに乗車し、 これまた古びたレニングラッツカヤホテルで旅装を解き、早速怖いもの見たさに街に繰り出した。

食料品店を覗いてみると、人影もまばらな店内にはほとんどまともな商品はなく、 屑物のキャベツやジャガイモが少し転がっているだけで、あとはとにかく缶詰類ばかりで、しかも薄汚れたレッテルが貼ってあり、 購入意欲がわくものはまず見当たらない。 表に出てみると子供たちが興奮して「バナナ、バナナ」と叫びながら駆けていく、 その先には道路上に黒く変色し、腐敗寸前のバナナが並べられており、日本では屑物として捨てられるようなわずかのバナナに人が興奮して群がっている。

華やかな軍事パレードを展開し、宇宙ロケットを飛ばす科学技術の進んだ素晴らしい社会主義国「ソ連」という麗しいイメージがガラガラと音を立てて崩れていった。 しばらく散策していると、素朴な青年がにこやかに近づき、「ヤポーネツ?」と聞いてくる、つまり「日本人ですか?」である。 「ダー(はい)」と答えると、握手してくれというではないか、 そして彼は興奮の面持ちで、「日本人と初めて握手した、私はサンヨーの素晴らしいテープレコーダーを持っている」と手を放してくれず、 更に「トヨタ、サンヨー、ナショナル、ソニー」と褒めたたえてくれる。 当時この国ではどこのホテルでもトイレットペーパーが見当たらず、あってもせいぜい党機関紙プラウダをちぎったもの程度で、 ソ連経済が既に行き詰まりを見せ、後の崩壊への道をゆっくりと歩み始めていたのであろう。 そして、どこに行っても、ロシア人は口を開けば、生活上の不満を述べたて、「共産党がこの国を滅茶苦茶にした」と嘆くばかりであった。


その頃既に共産党やブレジネフの主導する政権は実は全く支持を失っていたにもかかわらず、 各種選挙(一党独裁で定員と同数の立候補者)はいつも投票率も信任率も共に100%という奇妙な結果であり、 民意を表しているとは到底言えなかった。

そして、ホテルには厚化粧して着飾ったいわゆる「夜の姫君」たちが宵闇が迫ると連日続々集結し、 バーやレストランにとぐろを巻いて外人客に流し目を送ってくる。 街中「党と人民は一つだ!」とか「共産主義は勝利する!」などの貼り巡らされた勇ましいスローガンがむなしく響く、 これが当時の社会主義国家「ソ連邦」の実態であった。

もちろん正式に不満や批判を文章にして表明したり、放送で意見を述べたりするものは誰もいなかったし、危険でもあった。 しかし、次のようなロシア人のお得意の小話(アネグドート)を陰で囁きあって次の社会を待っていたのは間違いないのではなかろうか。 以下は当時のモスクワで耳にした小話、いわゆるアネグドートの一つである。

ある男にジャーナリストが「社会主義、共産主義についてどう思いますか?」と聞くと、「私の女房に対する気持ちと同じです。」という。 そこで、その心はと問いただすと、にっこり笑って「少しはどちらも愛しています。 しかし、できればなるべく早く別の女性か別の社会に変わってほしいと願っています。」と言って、微笑んだというのです。

一般民衆の中から誰言うともなく自然発生的に生まれ、野火のように広がったロシアのこう言った数限りないアネグドートが表現した、 溜まりにたまった社会批判が、そののち大きなうねりとなり、ペレストロイカや社会主義社会の崩壊に繋がったのであり、 「笑いの王国」ロシアもまんざら捨てたものではない。


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