リレーエッセー 第41弾

「セイシェル共和国に想いを馳せて」

宇野貞一(学7EA)

広大なインド洋西部に広がるセイシェル諸島、近年エマニエル婦人のラストパラダイスのロケ地になった処で記憶にある方もいらっしゃるかと思いますが、この国に皆様を誘ってみたいと筆を取りました。

地図上では東経55度、南緯4度に点在する92の島から成り立っております。 陸地全体の広さは171平方マイル(444平方キロメートル)人口約78,000人。 然しながら、92の島の広がりはサンゴ礁群を含め160,000 Sq.Miles(388,000平方KM)にも及びます。

メインアイランド、マヘ島に約7割の人が住み、次いでプラレ島、ラデイグ島が人の住める島と成っています。 元々火山の隆起で、マヘ島には913メートルの山があり、42の島が作られ、至る所に巨大な御影石が海岸線沿いに迫っています。 この山のお蔭で気流が発生し、雨が降り、飲料水が自給されている訳です。 残りの島は、サンゴ礁から出来ています。 椰子の木が山の中腹から海岸沿いまで生い茂って憩いの影を提供してくれます。 セイシェルでしか採れないというココデメール(双子椰子)は有名です。

歴史的には、ポルトガル人が1501年にこの島を地図上に載せたにも拘らず、英国人が1609年この無人島に初めて上陸するまで残されていました。 又、東方からの財宝を積んだ舟の略奪を待つ海賊の隠れ家として使われた他は、フランス探検隊が1742年に上陸するまでセイシェルは忘れられていました。 1770年には、フランス征服者たちとそのアフリカの奴隷たちがこの無人島に上陸してきました。 過って、フランス皇帝ルイ17世が幽閉されたのもこのセイシェル島、1956年にはキプロス島のマカリオス大僧正が流刑されたのもこの島でした。

今でもレストラン「ルイ17世」は上流階級の憩いの場として利用されている。 セイシェルは自然が豊かで、土地は肥えて、穀物は容易に実った。 山の斜面には樹木が生い茂り、魚も豊富だった。 気候は四方の海風の影響で適当に快適である。 1903年、英国の植民地と成り、1976年、英国から無血で独立を勝ち取り、共和国となり大統領制を敷いています。

想い起せば、1962年からこの国と貿易取引を始め、小さな額の取引でしたが、英国流の誠実で几帳面な商道徳には惹かれていました。 1968年、先方からの依頼で初めて日本車を輸出する事に成り、以来35年間お付き合いすることになり、十数回は出張することに成りました。 以前は数百台だった登録車が、日本からの輸出車で4,500台にまで増えて、ビクトリア市内では渋滞するようになったのです。 いつも泊まるホテルはブヴァロンベイホテル、広い砂浜に面した静かなホテルで、朝から仕事に出かける客は自分一人、殆んどの人はヴァカンスを楽しむツアー客です。 夕日の沈む水平線を眺めて、遙かなる母国日本を偲ぶと地球の大きさを感じずには要られない。 この国独特のムードが感じられるのが、夜の岬、アンセエトワール(星の岬)、煌々と輝く星が見える処アンセオウパン(海の岬)アンセロヤル、アンセソレイユ、憩いの岬、第3の島ラデイグ、火山でできた島、御影石の岩と海岸の浜辺、ここは自然がそのまま残っていて都会の喧騒に、また、仕事に疲れた会社員、創作に息詰まった芸術家が生気を取り戻す島でもあります。 ある日、外貨獲得のためには御影石とかココデメール、海岸線の砂などを輸出してはと提案したら、セイシェル環境大臣が言った、掛け替えのない自然を壊してまで輸出する気はない、自然は一度失われたら二度と戻らないから、全くおおせのとうりで、自然を大事にしていることに敬服した次第です。

後何世紀経てば、この国に天然資源のガス田なり油田が噴出すのか夢見ながら筆を置きます。

被爆アオギリ2世の成長

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2017年8月29日
(撮影日:2017年08月29日)

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