リレーエッセー 第27弾

「先輩、団忠夫氏との出会いと海外出張の思い出」

事業・組織部 荒木 茂顕(II9EC)

神戸の貿易業界で神戸外大出身の多くの経営者にお目にかかったがその中で最も印象に残る一人が故団忠夫・元三倉貿易蠎卍后奮2EA)である。

団忠夫氏にはじめて出会ったのは昭和40年代初めに神戸商工会議所(当時事務所は神戸市生田区海岸通にあった)を訪ねて来られた時であった。 それ以降、小生は定年まで商工会議所で貿易部会(会議所会員のうち貿易関係業者で構成)の世話をしていた関係で、いろいろな面でお世話になった。

団氏は昭和48年10月に神戸商工会議所の議員選挙に立候補され当選し(初の神戸外大卒議員)、平成14年まで議員(*)として10期にわたり活躍された。 また、神戸貿易協会副会長、全国貿易業兵庫連盟理事長等を歴任され神戸貿易業界のリーダーとして活躍されました。 その中で特に印象に残っているのは、2つの海外派遣ミッションで同一行動をすることができ、いろいろと教えていただいたことである。
(注)*商工会議所にも都道府県、市町村と同様に議員制度(任期3年)がある。

(その1)
まず思い出に残るのは、昭和51年1月にキューバを訪問した「神戸キューバ親善経済使節団」である。 昭和50年初め頃から東京のキューバ大使館の商務参事官がたびたび神戸を訪れ、その当時キューバは砂糖の豊作と砂糖相場の世界的な値上がりにより外貨が溜まり、輸入買い付けが活発化していた。 アメリカと経済断交をしていた関係で買い付け先は日本に頼っていた面があった。 当時キューバは東京中心のビジネスを行っており、取引地域を関西にも拡げたいということだった。 そして、大使館の商務参事官といろいろと協議を重ねていくうちに、5つの条件が示された。 .ューバへ経済代表団を派遣してほしい、 ▲魯丱覆反生佑猟蟯航路を開設したいので協力をしてほしい、 キューバ産品の展示会を開催したいので協力してほしい、 た生佑縫ューバとの貿易促進のためのグループを結成してほしい、 ゥューバ政府の商務官事務所を神戸に開設したいので協力をしてほしい・・・といったことであった。 これを受けて神戸商工会議所では国際委員会が中心となって検討を重ね、まず手始めに現地を見ようということになり、経済使節団を神戸市等と共同で派遣することになった。 この時推進役となられたのが団社長でした。

この使節団は昭和51年1月に宮崎辰雄・神戸市長を団長とし、18名で編成され団忠夫氏が通商班長を務められたほか、故中川圭司(学5EA)・神戸市渉外課長が市長のお世話お兼ね団員として、また小生が団の世話役として参加した。

キューバではハバナの商工会議所が使節団のため全面的な世話をしてくれ、キューバ政府要人ならびにキューバ商工会議所首脳との懇談、各輸出入公団との商談のアレンジ、ピカデユラ牧場、ラム酒工場、コーヒー農園など訪問の手配と案内などをしてくれたお陰で、極めて効率的な行動がとれた。

この時に目立ったのは団社長の行動であった。 ある輸入公団を訪問した際同行したが、商談に臨んだ際、自社紹介のときに関東のA社は知っているが、団社長の会社名を知らないと担当商務官から言われた。 A社は東京で有名な会社であるが関西で有名なのはわが社であるということから始まり、積極的に輸出の話を持ちかけ、この使節団の滞在中に輸出契約ができたのは三倉貿易だけであった。 他の団員から羨望の眼差しで見られていたのは言うまでもない。 その後、同社はラム酒、マンゴジュースの輸入総代理店になった。

帰国後は、団氏らが推進力となって神戸キューバ親善経済懇話会を立ち上げ、幹事に就任するとともにキューバ大使館の商務官事務所との定期的な会合を提唱され、実行に移された。 また、神戸・三宮のさんチカ広場で神戸市等と共催して、キューバ展を開催した際にも積極的に取り組んで頂くとともに、当時毎年神戸で開かれていたインポートフェアにもキューバ・ブースを開設・出展しキューバ貿易の促進にご尽力頂いた。 そして、その後キューバ懇話会の第3代会長を務めていただき、懇話会の運営に積極的に取り組まれたのであります。

(その2)
次に思い出に残るのは、シアトル地区との貿易促進である。
昭和53年にアメリカのワシントン州から代表団が来神し、同州では経済状態が良くないので失業者が増え困っている。 その救済のためには兵庫県下の企業に来て工場を建ててもらいたいということで企業誘致のセミナーが神戸で開かれた。 その当時神戸では、ワシントン州に投資をしようとする企業はほとんどなく、セミナー終了後の懇談の場で、漁業資源の話になった。 そこで、団社長は会社に電話を入れ、魚の図鑑を神戸商工会議所に持って来させ、それをもとにこの魚はシアトル地域で取れるか、こちらはどうかという話になり、それなら輸入の可能性があるので調査団を出そうということになった。 そして、その年の第1回目の使節団には小生は参加しなかったが、団社長を団長とする使節団が兵庫県、神戸市、神戸商工会議所の共催によりシアトルとバンクーバーに派遣された。 そして、トライアル輸入ということで鮭をコンテナ2本分買付けて帰ってきたのである。
売り先が心配されたが、神戸の中央市場の魚の仲買人の方が参加されていたので、その人が全量売ってあげるということで、商売は大変うまくいった。

そして、昭和54年7月に第2回目の使節団が同じく地元3団体の共催により米国のアラスカ、シアトル、ロサンゼルスに派遣された。 団忠夫氏を団長に、17名で編成され小生が団員として参加、お世話をした。 この時、アラスカではアンカレッジからバスで4時間もかかるキーナイ半島のキーナイを訪問し、輸入に当たっての鮭の冷凍加工状況を視察した。 その後、シアトルを訪問、鮭をはじめ魚類の輸入商談を行った。 この時には、魚の商談に加えてワシントン州で松茸が採れるということで、対岸のオリンピック半島を訪れた。 松茸の輸入の問題は、輸送に伴う鮮度維持の問題、輸送コストの問題などがあり、輸入の実現には至らなかった。

この時の旅行で聞いた話が、団氏の海外渡航が113回目ということであった。 小生の3度目と大きな違いで、帰国後の報告書のコラム欄に「商売人はちがうなあ!」と題でご披露させていただいた。 昭和54年に神戸市経済局貿易研究会が編集した「神戸商社のバイタリティー」(日経事業出版社発行)でも、団氏の活躍の模様が取り上げられている。

これ以外にも昭和62年に台湾に派遣した貿易促進団に団長を務められたほか、神戸の貿易促進のためにいろいろとご尽力ご協力を頂いた。 その後、ライオンズクラブでもご活躍になり、国際理事を務められた。 こうした数々のご功績が認められ平成12年秋には勲五等双光旭日章を受章され、お祝いの会にも参加させて頂いた。

団氏の優れたところは時代を見る先見性があったとともにすぐにビジネスに反映させるとともに、バイタリティーがあり、新規ビジネスについては、自社だけでなく神戸地域全体で取り組もうと業界の振興にも絶えず気にかけて下さりリーダーシップを発揮されたことだった。 もっと神戸貿易業界のためにご尽力を頂きたかったのに、若くしてご逝去(平成14年)されたことが惜しまれてならないと今でも痛感している。

被爆アオギリ2世の成長

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2017年4月25日
(撮影日:2017年04月25日)

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