リレーエッセー 第88弾

今を考える

原 和美(II18EA)


今、憲法の本が売れているそうです。 この間、否が応でもメディアを通じて目にし耳にしてきたことば、「憲法」って一体何?「集団的自衛権」?がマンガ化されたり、紙芝居であったり親しみやすいような工夫がなされていることも又多くの人たちに共有したい、と考えさせているのだと思えます。

先日、朝日新聞で「私たちは、戦争を知らない世代のまま終われるだろうか」というような句が掲載されていて、私はまさにその世代で、その句を読んで妙に不安な気持ちにさせられました。 「集団的自衛権」と言う言葉がこの春から急にメディアに登場し始めました。 そして集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定がなされました。 かつて、そして最近も「自衛」という理由で戦いがあったことは歴史上の事実ですし、私たちの知るところです。 私たちの国の指導者達はこの国の将来をどのように思い描いているのでしょうか? そんな事をふと思いました。他国の人たちの命を奪うかもしれないし、自国民の命も又犠牲になるかもしれない。 そのような決定がなされたのです。

選ばれたから何をやってもいいことにはならない、と言いたいような最近の政治の動きです。 実は、そのために憲法があるのです。

日本国憲法前文、私はこのくだりを読むたびに感激し、この憲法を誇りに思うのです。 「・・・われらは、全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」

今、かつてのように大国間同士の戦争はないだろうと言われています。 そう思えます。 なぜなら、始まったら(地上のありとあらゆるものが)お終いだからです。

それより今、怖いのは、経済のグローバル化がもたらす格差と貧困です。 かつて日本は一億総中流といわれた時代がありました。 働けばそれなりに報われ、倒産や解雇の心配がなくある程度将来の生活設計ができました。 まじめにコツコツ働く普通の私たちが社会を支えてきました。 今、ますます広がる格差は若者に夢をあきらめさせ、過労死にまで追いやっています。 いつから労働者がコスト換算されるようになったのでしょうか、働くことがこんなに阻害され誇りを奪い取られる社会が正常と言えるのでしょうか・・・。

格差や貧困の中で、人としての尊厳が奪われると小さな暴力が始まります。 それが積み重なって大きな暴力となり、世界各地で大がかりな暴力を生み出しています。

だから不安なのです。小さな暴力を大掛かりな戦いにさせないためにも、武器はもたない、そうさせない歯止めこそが今は必要と思えるのです。

被爆アオギリ2世の成長

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2017年4月25日
(撮影日:2017年04月25日)

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