リレーエッセー 第83弾

遠い昔のある出逢い −22歳のスティーブ・ジョブスと

松本 周三(学11EC)


2011年10月5日にApple Computerの創業者の一人であるSteven Paul Jobsが死去したとの報道が全世界を駆け巡りました。 ニュースを聞いてすぐに1977年9月にまだ22歳だった彼氏とCupertino(Ca)にあった自宅のガレージを改造した仕事場で会ったことを思い出しました。

若き日のSteven Paul Jobs
*1990年の業界誌より
若き日のSteven Paul Jobs

前年に最初のコンピューター Apple気鮴い暴个靴燭个りで、もう1人の共同創業者であったSteve Wozniakとあと数名のささやかな事業でした。 Chief EngineerのRod Holtと打ち合わせの途中に Vice Presidentだと名乗って出てきて握手した彼氏は近影とは大いに異なっており、 髪の毛はふさふさで眼光も鋭いピカピカの若者で、私が手にしていたRod Holtの名刺にSteve Jobs V.P.と直筆で書いてくれました。 社名と商標の由来は彼氏の好物のりんごの一口かじりの "bite"と今ではすっかりお馴染みの情報量単位の "byte"をイメージしたものとのことでしたが、当時の名刺に既に「齧りかけのリンゴ」が浮彫となって表されておりました。

apple computer inc.の創業時の名刺 - 1977年9月20日 受領
*コピーでは微かにしか見えないが aの文字が浮彫のリンゴに咬みこんだ形で印字されている
*Rod Holt(Chief Engineer)の名刺に鉛筆で Steve Jobs V.P.と書かれている
apple computer inc.の創業時の名刺

当時の私は1968年にアメリカ松下赴任以来9年目を迎えておりましたが、1976年にロスアンジェルス郊外にオフィスを構え西部地域11州をカバーする電子部品の販売ネットワーク作りに参画し始めたばかりでありました。 カリフォルニア北部を担当するレップ(Sales Representative―販売代行店を意味する通称)の一人が AtariやHewlett-Packardに在職していた頃のJobsやWozniakと顔なじみであったことから、創業ほやほやのAppleとのビジネスのキッカケを模索していた段階でもありました。 アメリカにおける松下の電子部品の販売のスタートは1961年に遡りますが販売の対象はいわゆるコンシュマーグッズ(Radio,Audio,Television)のメーカーである General Electric, Philco, Sylvania, Motorola, Zenithなどでありました。 日本の追い上げを受けたそれらのメーカーが生産拠点の海外移転を行ったり、完成品での購入に移行したりする趨勢が加速する一方でしたので、一般電子部品のメーカーとしては新たな業界や販路の開拓に数年前より軸足を移しておりました。


これに伴いそれぞれの業種の中心地と目される都市のある州へ拠点となるオフィスが必要となり、この方針に従って私も住居をニューヨーク・ミシガン・ニュージャージー・カリフォルニアと移していくことととなり、1976年1月にはアメリカでの最後の住まいとなったAnaheim (Ca)からロスアンジェルス、サンフランシスコ、シアトル等の主要都市を中心に顧客ベースの拡大に取り組んでいた時代でありました 西部地域での主要なターゲットは「ディジタル」をキーワードとして急激に拡大しつつあったあらゆる機器の電子化の流れに乗ることでありました。


「ディジタル」は「アナログ」の反意語で語源をたどればラテン語の指 "digitus"だとのことで、数を指で数えるところから離散的な数を意味するようになり、現代では飛び飛びの値しかない量即ち離散量を表し連続量を表すアナログとは対極に位置付けられています。

この「ディジタル」言語を駆使して1950年代から次第に進化を遂げて来た機器がコンピューターでありましたが、その中枢機能を担った素子も真空管からトランジスターへ急速な変貌を遂げ、更にトランジスターの中身もゲルマニウムからシリコンへと取って代わられることとなりました。 当初シリコンはゲルマニウムの融点が938℃程度であるのに比べて1414℃と高く製造に困難があると見られていましたが、高温・高電圧に耐え、又高電流容量も大きくUHF帯の検波・整流などに優れた特性を持つ素子として開発が進められ、これに加えて素子の集積化・高密度化が加速的な進展を遂げることとなりました。


このようなシリコン素子や高密度回路の研究開発・製造の拠点が集中しているエリアとしてカリフォルニア州北部のサンフランシスコ湾岸地域の一部が「シリコンバレー(Silicon Valley)」と俗に呼ばれています([地図:pdf(1.2MB)])。 サンフランシスコ半島のサンマテオ郡とサンタクララ郡を北から南へ貫くUSハイウェイ101号線・エルカミノリアル82号線・及び208号線沿いのサンタクララ渓谷一帯を指すものでシリコンバレーという地名が存在するわけではありません。 この3本の主要道路に沿うような形で北からサンマテオ・レッドウッドシティー・パロアルト・ロスアルトス・マウンテンビュー・サニーベール・クーパチーノ・サンタクララ等今では主要な半導体産業・IT産業の本拠、多くのハイテクベンチャーが密集していることからの通称とされています。


ハイテク産業の温床の役割を果たしてきているスタンフォード大学はパロアルトに接し82と 208号線に挟まれた広大な敷地 (約8000エーカー = 980万坪!) を占め1891年の創設以来 いわゆる東部エスタブリッシュメントに対抗する人材の育成や、新規分野の研究開発に大きな役割を果たし、構内にあるスタンフォードリサーチパークには企業の本社や研究所が設置され産学連携の模範の様に言われています。 パロアルトにはHP(Hewlett-Packard) の最初の拠点となったガレージがあり、1938年にオーディオ発振器の開発を始めた地点としてシリコンバレー発祥の地として史跡登録がされています。 パロアルトから南へ5-15マイル圏内に位置しているのがアップルの創業当初の拠点となったロスアルトスやクーパチーノです。


Steve Jobs は13歳のころから友人であったSteve Wozniakと夫々にAtari及びHewlett-Packardに勤務した後、1976年6月にロスアルトスの住居のガレージでパソコンの原型となったアップルIの基板組立を行ってByte shopを通じて世に送り出し、翌1977年4月に引越し先のクーパチーノの自宅を改造した新たな拠点で本格的なパーソナルコンピューターとしてアップルIIの組み立てを開始し、$1298.-という当時としては手頃な価格での出荷を始めることとなりました。

apple computer inc. を1976年に創業したSteve Jobsの自宅
*2013年10月28日 Los Altos市歴史委員会が歴史的資産に認定
Steve Jobsの自宅
デスクトップコンピューター Apple II 1977年4月 発売
AppleII

同じ年1977年11月3日に再度Steve Jobsと会う機会がありました。 前回 9月に当方より提案した超小型プリンターユニットについて検討するための会合で、もう一人のテクニカルスタッフと共に実験・試行も含めて細かい討議が行われました。 当方のサーマルヘッドを使ったプリンターは当初はPCを想定したデザインではなかったので、プリンターの必要性や設計概念についての評価は高かったものの一行に印字する字数は少なくともPCのモニターディスプレーに表示される一行40文字は必要条件であることが判明したので、現場で可能な限りの設定変行を加え試行したが現状では33-34文字が最大との結果となり双方で印字速度の変更やサーマルヘッドの耐久性などについてさらに論議をすることとなりました。


当時の彼らの見込みではアップルIIの生産出荷を1980年は10万台、1984年には200万台と言っておりましたが、お客の半数は小型プリンターを同時に購入するはずとの見解も示しておりました。 結論的にはこのサーマルヘッドプリンターは特殊なサーマルペーパー(感熱紙)を必要としたためPCへの導入はされませんでしたが、高度な技術機器を誰にでも簡単に使える手頃な価格の商品に作り替えるというアップルの基本理念に触れた貴重な体験となりました。


翌1978年に10年と少々の滞米を終えて帰国した後しばらくは直接の営業からはなれておりましたのでアップルとの直接のコンタクトは1990年代になってからとなりましたが、PCのディスプレーをブラウン管から液晶に置き換える活動のはしりの時期に又々クーパチーノにはるばると出かけることにもなりました。 この間のアップルの業容拡大・変化はすさまじいもので1993年にはアップルIIの累計出荷台数は500万台を超えており逐次 次世代のLisaやMacintoshへと進化していきました。


この間Steve Jobsは1985年には経営幹部との対立が原因でアップルを事実上放逐され、NeXt Inc.を設立し教育や金融業界対象のスーパーワークステーションの開発に成果を挙げ1997年にアップルがNeXTを買収するのに伴いコンサルタントとして復帰、さらに2000年には改めてCEOに就任するなど変転極まりない過程を経ておりました。 後になって知ったことですがシリア人を父に持ち両親と切り離されて幼くしてJobs家の養子となった彼氏がアップルIIの成功でアメリカ史上最年少の億万長者となり、アップルの株式時価総額が史上最高($6,230億)を記録するなどいわゆるアメリカンドリームの体現者であるようにも見られますが、果たしてどうだったのでしょう。 2011年1月に病気療養に専念するためとして休職、8月にはCEOを辞任と伝えられ次いで永らくの癌との闘病の末10月の訃報となりました。

晩年のSteven Paul Jobs
* 2010年のWorldwide Developers Conference でiPhone4を掲げている
晩年のSteven Paul Jobs

シリコンバレーの申し子のような彼氏が2005年のスタンフォード大学の卒業式に招かれ、卒業生に対するスピーチを "Stay hungry, Stay foolish" の言葉で締めくくったと伝えられています。 iMacに続いて iPod, iPhone, iPadと夫々に新たな市場を作り出し、業界をリードしてきたアップルの業績は2013年7-9月期まで3四半期連続の減益となり伸び悩みが鮮明となっています。 「芯を失ったリンゴ」が創業の理念をどのように継承していくのか関心を持って見守りたいと思っています。

― 完 ―

尚、2005年のスタンフォード大学の卒業式での式辞は約14分ほどですがyoutubeにアップされており、直接彼氏の映像・音声で "Stay hungry, Stay foolish" を聞くことができます。

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2017年6月28日
(撮影日:2017年06月28日)

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