リレーエッセー 第76弾

卒業43年経過しての初のクラス会

II15ED 横倉 正明

去年(2012年)5月中頃の事である。 社会人としての責務を終え自由人としての生活が10ヶ月になろうとしていた私は外大入学以来の友人である岸克彦氏と久し振りに会い三宮のとある居酒屋でアレコレ話しをしていた。 岸氏は少し前に会社組織からやっと解放され自由の身になれたと実に嬉しそうに話していた。 これからは家庭サービスに努めて行くんやと残りの人生設計を熱く語っていた。 その後どちらからともなく学生時代のクラスメートの誰某はどないしてるんやろか?との言葉を口にした。 彼は私以外誰とも会っていないと言う。 私はアンタと同窓会の理事をしている枝吉氏を除いて誰の消息も知らんという。 それなら卒業して43年になるけど全く会っていない学友と会えるようクラス会をやってみよう!という事になった。


家にある外大創立50周年記念・1997年楠ヶ丘会会員名簿の中の昭和44年3月卒業II英米学科D組に懐しい学友の名前があった。 27名の在籍で6名は連絡先の記載が無い。 阪神間に住みかろうじて連絡がとれた13名にクラス会開催の話しをすると10名が賛同。 6月10日の期日となると8名が出席可となり準備を進めていった。 しかし直前になって1人が怪我で出席不可となり最終参加者は私を含めて7名となる。


集合場所はJR三宮山側のタクシー乗り場付近で時間は13:30。 日曜日で人出が多い中、人待ち顔の中高年というか初老の男性を目を大きくして探していた。 時間が近づくとどこからともなくそれらしき人の集りができ恐る恐る自分の名を告げ、人と会うことになっている旨を話すと「エッ、ホンマ、アンタかいな!」「分からんかったワ!」の声があがる。 その集団が47年前のクラスメートで4年間共に勉強した学友と判明。 卒業後43年間もの間、一度も会う事がなかったので容姿の変化など分かりようがなくハタチの頃のきおくにある姿だけを追っていたのである。 年不相応の楽しげな表情でホテルの送迎バスに乗り込み会場であるホテル北野プラザ六甲荘に向った。 到着すると入口に立看板があったのでその場で思いついたこのクラス会の名称「15夜会」を書きくわえてもらった。 会場の部屋に入りクラス会が始まった。 自己紹介と自身の近況報告の際は全員耳を立て各自の発言に聞き入った。 素晴らしい職歴には拍手が起こりウワーッ、ヘーッととても素晴らしい雰囲気であった。 待ちに待った乾杯を合図に各テーブルはいろんな話で盛り上がり43年間の長い時間のブランクは埋ったように思われた。


この楽しい場面は記録に残しておかなければ!と持参したデジカメでパチパチと写真を撮っていった。 16時までの2時間はあっと言う間に過ぎ去った。 北野の坂を楽しくしゃべりながら下り歩いて2次会の場所へ向う。 都合のため2次会に残念ながら行けない2名を除き近くではないミュンヘン神戸大使館までの道程を息切れすることなく軽やかに進んでいった。 久しぶりに神戸の中心街に足を運ぶ。 垢抜けした景色は確かに目の保養になる。 懐しのミュンヘン神戸大使館近くに来た時の皆の一層生き生きとした表情は初老のそれではなく45年程前の若き学生そのものである。 トクと写真を御覧頂きたい。 館内では周りの大きな音や声に負けることなくこの集団も声を大にしてしゃべった。 かくして卒業後43年経過して初めてのクラス会は無事終えることとなりました。

15夜会で撮った記念写真1 15夜会で撮った記念写真2

写真:「ミュンヘン大使館前で」

後列左から 筆者、吉田 潔司、枝吉 六郎、岸 克彦

前列左から 小野木 康雄、野浪 建作、粟田 善策

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